私には歯科医として大切にしている想いが2つあります。1つは患者さんが「恐い」と感じない歯医者であること。もう1つは患者さんの治療後の生活をいかによくできるかを考えながら治療を行うということです。
祖父の代から続く歯科医の長男として生まれた私は、まわりが当然のように跡を継ぐものだと思っているのが嫌で、子どもの頃はとにかく歯医者以外の職業に就こうと思っていました。そんな私が歯医者になろうと思ったのは、高校生の時、バスケットボールのプレー中に歯を折ってしまったのがきっかけです。痛みもさることながら、それまで虫歯にすらなったことがないため、とても不安だったのを覚えています。そんな時に頼ったのはやはり父でした。父が紹介してくれた函館の歯科医師は、ほとんど痛みを感じさせずに治療をしてくださいました。この時に初めて歯科医になろうという気持ちが芽生えてきたのです。そして、自分が怖かった経験から「患者さんに痛みや恐怖を感じさせない歯医者になろう」という決意をしました。この時の気持ちは今も変わることはありません。
その後、必死で勉強して岩手医科大学の歯学部に入学し、細胞の不思議、人体の不思議、生命の不思議についての勉強にのめり込みました。卒業後は当時「入れ歯治療日本一」といわれた教授がいる岩手医大に大学院生として入局しました。ここでは、「良い入れ歯で歯以外の病気が良くなった」というような貴重な経験をさせていただきました。学生時代を終えた後は秋田大学付属病院の口腔外科に研修医として受け入れていただき、がん治療から骨折治療、形成外科的整容医療、インプラント治療まで行う外科医としての修行をすることになりました。ここは、職人としての歯科医ではなく、一人の患者さんをチームとして支える医師という仕事を根本からはじめて理解できた場所であったと思います。医学部の麻酔科にも勤務し、自分で麻酔をかけることができるようになったことは今でも大変役に立っています。
この病院で私はひとりの口腔がんの患者さんに出会いました。奥歯の周辺のがんが他の場所にも転移しており、手術だけでは普通の生活に戻れない状態でした。それでも必死に手を尽くして治療を行い、無事に社会復帰できるようになったのです。退院が決まった時は本当にいい笑顔で「また普通に元の会社に行けるようになりました。本当にありがとうございました」と言ってくださいました。この経験をきっかけに、単に歯を治すのではなく、治療後の生活をいかによくできるかを真剣に考えるようになりました。
こうして口腔外科医としての経験を積んだ私は、実家であるあいば歯科に帰ってきました。今は、副院長として患者さんに接するだけでなく、患者さんの治療後の生活をより豊かにするために積極的に海外の論文や最先端の治療について学んでいます。入れ歯やインプラントの治療を終え、美しい歯が入るとき、皆さん本当にすばらしいお顔で微笑まれます。涙ぐむ方もいらっしゃいます。そのようなことを、私たちのチームで成し遂げられることを誇りに思うとともに、心からありがたく思います。これからも、患者さんとのこんな関係をずっと続けていくことが私の願いです。