スタッフ紹介

院長・歯科医師 相場進

【経歴】
秋田高校       昭和33年(入学)~昭和36年(卒業)
日本歯科大学     昭和37年(入学)~昭和43年(卒業)
日本医科大学口腔外科 昭和43年(入学)~昭和45年(卒業)
秋田鉄道病院     昭和45年(勤務開始)~昭和50年(退社)
あいば歯科医院    昭和50年(勤務開始)~

多趣味は無趣味と似たりとよく言われますが、私は全くの多趣味でして、何にでも興味を持ってしまいます。しかし、しばらくしてそれが自分に合わないと気づくとすぐにやめてしまいます。人に言わせるとお前は飽きっぽいとなります。

しかし、実はそうではなく、本当に自分に有ったものを見いだせずにいるだけなのです。
その中で唯一続いているのが、歯科医療です。これは飽きずにやっております。今後も続きます。
他の趣味といいますと、釣りが好きでした。自然のまっただ中に入り込む渓流釣り、鮎釣りは長く続きました。最近は危険なのと体力の関係でやめております。

今では、いつまでたっても上達しない英語学習と穏やかな川や湖沼のカヤックをやるようになりました。これは気持ちのよいものです。それと最近のことですが、バラの手入れが好きになりました。バラの庭にしようと思っています。次第に穏やかなことがよくなっているのでしょう。

年齢とともに人間のことが少しづつ解るようになりそれに伴って楽しみも増してきているようです。

副院長・歯科医師 相場隆広

【経歴】
函館ラサール高等学校      昭和63年(入学)~平成2年(卒業)
岩手医科歯科大学歯学部     平成4年(入学)~平成10年(卒業)
秋田大学医学部付属病院口腔外科 平成10年(勤務開始)~平成14年(退社)
あいば歯科医院         平成14年(勤務開始)~

【所属学会】
頭頸部がん学会
日本口腔外科学会
日本口腔インプラント学会
スタディーグループ 一水会 会長

私には歯科医として大切にしている想いが2つあります。
1つ目は患者さんが「恐い」と感じない歯医者であること。2つ目は患者さんの治療後の生活をいかによくできるかを考えながら治療を行うということです。
このように考えるようになったのには、きっかけがあります。少し長くなってしまいますが、読んでいただけたら嬉しいです。
私は祖父の代から続く歯医者の家に長男として生まれました。まわりの大人達が当然のように私が跡を継ぐものだと思っている、子供ながらにそういう空気を感じ、それがとても嫌で、精いっぱい、抵抗しました。特別なりたい職業があったわけではありませんが、子供の頃はとにかく歯医者以外の職業に就こうと思っていました。
そんな私が、初めて歯医者になろうと思ったのは、高校生の時です。私は親元を離れ函館の学校に通っていました。その頃はバスケットボールに夢中でした。しかし、バスケットボールのプレー中に他の選手とぶつかって歯を折ってしまったのです。ものすごく痛くて、どうして良いか分からずとても不安でした。もちろん歯を折ったのは初めての経験だったし、それどころか、私はそれまで一度も虫歯にすらなったことがなかったため、歯の治療がどういうものか全くイメージできなかったのです。とにかく歯医者に治療されることが恐くてしかたありませんでした。

そして、そんな時に頼ったのはやはり父でした。秋田の父に電話で相談したら、5分後にはこういう歯科医がいるからそこ行きなさい、連絡はしてあるから。という連絡をくれました。それだけでなんだか父を尊敬してしまいました。私がいうのもなんですが、父は非常に勉強家です。勉強のために学会に行った時に、県外の医師とも交流があったそうです。そういう仲間の中に函館の歯科医がいて父が連絡してくれたので、そこに行きました。その時に処置していただいた先生が上手い先生だったので、治療自体は、痛いということはありませんでした。でも私にとっては生まれて初めての治療体験なので、上手いかどうかなんて分かりませんでした。ただひたすら、怖い。それだけです。そのときに、「この怖いという感覚良くないな」と感じました。怖いと思わせているのが何かは分かりませんでしたが、いいことではないな、と思ったのです。同時に、もしも自分の実家であるあいば歯科が、そう思わせていたらいやだな、と思いました。

そして、その時の出来事がきっかけとなって、あんなに嫌だった歯医者になろうと思うようになりました。患者さんが恐くない歯医者を作りたいという想いは高校生の頃から今も変わらず持ち続けています。
歯医者になるときめた後、それまでバスケットボールばかりしていた私は、必死で受験勉強をしました。そして2年間の勉強の末、岩手医科大学の歯学部に入学が決まりました。大学生になり、医学や歯学の講義が始まると、私はこれこそ勉強したかったことだと、本当に心の底から感じました。細胞の不思議、人体の不思議、生命の不思議、これらに関わることのできる自分を誇りに思いました。どんな些細な疑問も残さず教授に質問し、図書館で調べ、先輩に聞き、生き生きと楽しみながら勉強にのめり込みました。

大学卒業後は、当時「入れ歯治療日本一」といわれた教授がいる岩手医大に、大学院生として入局しました。ここでは、良い入れ歯を入れたら歯以外の病気が良くなった、というような大変貴重な勉強をさせていただきました。
こうして学生時代を終えた私は、秋田大学付属病院の口腔外科に、研修医として受け入れていただきました。今度は入れ歯の歯医者ではなく、がん治療から骨折治療、形成外科的整容医療、インプラント治療まで行う外科医としての修行をすることになりました。一人の患者さんをチームとして支える、職人としての歯科医ではなく、医者という仕事をはじめて根本から理解した場所であったかもしれません。重症の患者さんを診る病棟に勤務して、大きな手術にも参加しました。医学部の麻酔科にも勤務し、自身で麻酔をかけることができるようになったことは今でも大変役にたっています。

そして、この病院で私は、私の歯科医としてのその後の生き方に大きな影響を与えてくれる1人の患者さんに出会いました。その患者さんは口腔がんの患者さんで、奥歯の周辺のがんが他の場所にも転移していました。入院されていて当然手術もされました。手術はひとまず成功。しかし、がんを切り取ったら終わりというわけではなく、現実には「手術が上手くいって良かったね」とはなりませんでした。その患者さんにとっては、普通の生活に戻って初めて良かったと思えるわけで、手術が終わっただけでは治っていないのと同じことだったのです。結局その患者さんはその後も4ヶ月くらい入院されて、無事にがんが治りました。そして、いよいよ退院される日に、本当にうれしそうないい笑顔で、私のところに挨拶をしにきてくれたのです。そのときに患者さんがおっしゃった「また普通に元の会社にもいける」「入院する前と同じように社会復帰ができる」という言葉を聞いて、「あぁ、そうかこれが患者さんの本当の気持ちなんだ」と感じました。その人にとって一番良い状態で社会復帰できることを患者さんたちはみんな望んでいるんだと。このときに、こういう患者さんとの関係って気持ち良いなと、こういう風に思われる歯科医になりたいなと思うようになりました。その経験をきっかけに、私は歯科医として患者さんの治療後の生活をいかによくできるかと考えるようになりました。

研修医としての経験を積んだ私は、秋田労災病院で、外科医が一人で受け持つ手術数としては日本一という、多忙を極めた生活を送っていたのですが、なんとか頑張れたのもその患者さんとの出来事があったからだと思います。
こうして口腔外科としての経験を積んだ後、私は実家であるあいば歯科に帰ってきました。
ここでも、患者さんの治療後の生活を考えられる歯医者を目指して経験と勉強を重ねました。特に、海外で発表された新しい論文には必ず目を通していました。
そして、その中に、1日インプラント治療の論文があったのです。論文を読んで運命的なものを感じた私は、開発者であるマロ先生直伝のトレーニングを受けるためにポルトガルに行きました。
そして、実際にトレーニングを受けてみて自分の直感は間違っていなかったと確信しました。私が今まで研究してきた入れ歯の経験と、外科医としての経験とが、ガッチリとつながったのです。まるで、神様に、1日インプラントをやるために今までいろいろなところで研修をさせてあげたのだよ、といわれているような感じまでしたものです。

そして、この方法なら、入れ歯からインプラントにしたいけど今まで体に負担がかかるからインプラントにできなかった患者さんや、総入れ歯にするのは抵抗があるけど全ての歯をインプラントにするのは金銭的に難しかった患者さんに喜んでもらえる。この治療は患者さんの治療後の生活をよりよくできる治療だと確信しました。

日本に戻った私は、すぐに医院の体制を整えてすこしづつ1日インプラント治療を始めました。1日インプラントの治療が終わり、美しい歯が入るとき、皆さん本当にすばらしいお顔で微笑まれます。涙ぐむ方もいらっしゃいます。そのようなことを、私たちのチームで成し遂げることができることを本当に誇りに思うとともに、本当にありがたく思います。

これからも、こういう患者さんとの関係をつづけられたらいいなと思っています。

歯科医師 相場砂織

【経歴】
盛岡第二高等学校        平成1年(入学)~平成3年(卒業)
岩手医科歯科大学歯学部     平成3年(入学)~平成9年(卒業)
岩手県立中央病院歯科口腔外科  平成9年(勤務開始)~平成10年(退社)字
岩手医科大学小児歯科学講座   平成10年(入学)~平成11年(卒業)
中通歯科診療所         平成11年(勤務開始)~平成13年(退社)
あいば歯科医院         平成14年(勤務開始)~

隆広先生の妻であり、3人の子供の母です。
歯科医師としての仕事と、家庭のことに追われいっぱいいっぱいといった感じなのですが、さらに、ガーデニング、ステンドグラス、パッチワークなど、趣味もたくさんあります。
毎日やることがたくさんあるのですが、「寝る間を惜しんで」という訳ではなく睡眠時間もしっかり取りたい私は、「もっと一日が長ければいいのになあ」といつも思っています。
あいば歯科では、女医ということでお子様を担当することが多いのですが、いつも思うことがあります。
それは、「あいば歯科に来たら、これからはもう、絶対にむしばにしない」
ということです。

乳歯が虫歯でもあきらめないで。
きちんとした治療と、毎日のケアで大人の歯、永久歯は虫歯にしないことができるのです。

歯科衛生士・スタッフ統括本部長 大薮香織

今の自分があるのは色々な偶然が重なってあるのだと思います。1つ1つの偶然があり成り立っているのだと考えました。 あの時、もし違う選択をしていたら全く違う人生を歩んでいた。
しかし、こちらを選んでいるからこそ今の自分がある。それはもしかして偶然なことではなく必然だったのかもしれません。

私が今、こうして歯科衛生士となり働いているのにも色々な偶然ときっかけがあります。 一番目は白衣を着たかった。2番目は資格をとりたかった。3番目は親のすすめ。4番目は当時歯医者に通っていた。今思えばとても単純だったなと思います。 けれどもこれが今の楽しい人生の原点だと思うと自分の選択は間違ってなかった。自分が深く考える性格でなくてよかったなあ、と思います。 そして今、あいば歯科で働けているのもたくさんの偶然のおかげです。
就職したきっかけ、素敵な仲間との出会い、家族の支えがあり 今、私はここにいられるんだと思うととても感謝です。 私の人生は偶然が偶然をよんで、どんどんつながっていく。 自分で無理にかえるのではなく偶然に導かれて進んでゆく。

これが私らしい人生だと思います。これから先もそうやって生きていけたら私は幸せだと思います。

歯科衛生士 窪目里絵

学生の頃、これといった将来の夢がなかった私は、進路の事もあまり深く考えず過ごしていました。もともと医療系の仕事に興味はありましたが、ただ「人の役に立つ仕事がしたい」という漠然とした考えでしかありませんでした。 高校の進路の時間にようやく将来について考えるようになり、自分は何がやりたいのか悩んだのを今でも覚えています。興味があった医療系の仕事をなんとなく調べていると歯科衛生士という職業を知りました。どんな職業なのか詳しく調べていくうちに魅力的に感じ、いつの日か私もこんな仕事がしたいと思うようになりました。
衛生士学校に入学してからは、想像以上の勉強量と実習で大変でしたが、家族や友人に支えられ国家資格とホームヘルパー2級を取得することができました。 歯科衛生士として初めてあいば歯科に入社した時は、覚える事も多く不安な日々で自信を失くす事もありました。しかし、振り返ったときにあいば歯科の衛生士として、そして一人の人間として少しずつ成長している自分がいて、今ではこの道を選んで良かったと思っています。素晴らしい先生方やスタッフ、たくさんの患者さんと出会い、良い環境の中で仕事ができる事を幸せに思います 。
衛生士はメインテナンスを通して患者さんと長い時間を共有し、信頼関係を築く事ができます。その信頼関係を生み出す為には、口腔内だけでなく患者さんの表情や生活背景、趣味や家族構成などにも目を向ける必要があります。不安や痛みを抱えて来院される患者さんには笑顔で帰って頂きたい。患者さんの喜びや感謝の意は、私たちの喜びにもなります。
たった一度しかない人生の中で歯科衛生士を選択したからには、自分の可能性を信じ、チャレンジ精神を忘れずにこれからも日々精進していきます 。

歯科衛生士 近藤聖怜

私が“歯科衛生士”という職業を知ったのは、高校3年生のときでした。
それまでの私は「自分は何がしたいのだろう?」「何に興味があるのだろう?」と本当にやりたいことが見つかりませんでした。
将来について真剣に考えたとき、女性として自立した仕事に就きたい、人の役に立つ仕事がしたい、資格を得たい。そこでたどり着いたのが医療の道でした。 医療と言っても看護師、介護士などたくさんの職種があります。
その中で1番魅力を感じたのが歯科衛生士でした。「食べること」「話すこと」が大好きな私にとって生涯自分の歯で食べること、歯を見せてにっこり笑えること。この仕事の重要性とやりがいを強く感じました。
それから3年間、歯科衛生士の専門学校に通い、3年という長いようで短い時間を同じ夢を待つ仲間とともに過ごし、無事に国家試験に合格することができました 。

歯科衛生士 小松美香

私は、「将来、医療系の仕事に就きたい」と漠然と考えていました。

歯科の仕事は、高校の時、母に進路を相談した時にいくつかあがった候補のうちの一つでした。そして、自分は手先が器用な方なので、細かな作業の多い歯科に向いているのではないかという単純な理由で歯科の専門学校を見学に行ったのです。そこでどういう事をしているのか、患者さんとどう関わって仕事をしていくのかなどを知って興味を持ち、歯科の道に進もうと決めました。

専門学校では、学校で勉強するだけでなく、いろいろな歯科医院へお邪魔して臨床実習をさせていただきました。最初はどうしていいかわからず、全然動けなくて、歯科の仕事が向いていないのではないかと自分が嫌になってしまう事もありました。しかし、実習に出てたくさんの事を学びました。実際に患者さんと接してみなければわからないこともあるのだと、「現場の空気」を知ることができたのはとても大きいと思います。患者さんに「実習してるの?がんばってね」と声をかけられ、とても励みになりました。
今あいば歯科医院で働いていて、まだまだできない事もあり少し落ち込むこともありますが、同期と励ましあい、先輩や先生に助けていただいて、できる事もたくさん増えました。患者さんに安心して治療を受けていただくために、治療について勉強し、「できる事」をこれからももっと増やしていきます。

歯科衛生士 加藤綾奈


アシスタント 下田香奈

あいば歯科には幼い頃から患者として通っていました。あまり歯医者を怖いとは思わず、ただ絵本を読んで待っているのが楽しみでした。高校生になっても、幼い頃から通っていたからなのか、みんな“かなちゃん”と呼んでくれていました。そのおかげで人見知りだった私でも、先生やスタッフの方と楽しく会話する事が出来て嬉しいと思いながら通っていました。

あいば歯科の求人票を見つけた時は、もし受かっても、人見知りな私には、自分があいば歯科で感じたように患者さんに接する自信はありませんでした。でも、あいば歯科の人達は、私が失敗してもその失敗をフォローしてくれて、さらに失敗から成長する事を教えてくれました。皆に支えられて自信もついてきました。いままで、つらかった時にくじけないで、頑張ろうと思ってやってこられたのは、新人セミナーでの“人生の主役は自分”と言う言葉に支えられてきたからです。
セミナーでは、姿勢や挨拶等の基本所作、言葉遣いも学びました。“人生の主役は自分”というのは心構えです。私の人生を一つの映画に見立てると、もちろん主役は私です。つらい時のない、すぐに何でも出来てしまうような映画よりも、つらい事があったりくじけそうになったりして、そこから這い上がる映画の方が面白い、その方が私もやりがいがあると感じました。

まだまだ知りたい事も挑戦したい事も沢山あります。失敗してしまうかもしれないと恐れるのではなく、どのようにしたらもっと良く出来るのか、前向きに考えて行動出来るようになりたいです。

アシスタント 菅原ちえみ

私は以前飲食店に勤めていました。
人と接する事が好きで『ありがとう』と言われたり相手の笑顔を見れた時は私にとって非常にやりがいを感じる瞬間です。
私は元々歯の大きさや歯並びにコンプレックスを持っていました。
そのコンプレックスから歯科医療に携わりたい、と思うようになりました。
あいば歯科の職場見学をさせていただいた際、先生を初めスタッフの方々が親身になって患者さんへ寄り添う姿に私も一緒に働きたいと強く感じました。
小さなお子さんを初め、歯科医療に対して苦手意識を持った方に親身に寄り添い患者さんが笑顔に生涯生活を送れるよう全力でサポートします。

アシスタント 浅野智子

私には二人の子供がいます。
一人目を出産し、医療系で人の役に立てる仕事がしたいと考えていた時に出会ったのが歯科助手の仕事でした。
始めは覚える事も沢山あり、なぜそうなのかという事をしっかり理解出来ていない為に、治療の順番を間違えてしまう事もありました。失敗しても理由を考えなかったので、型取りを何回も取る事になり、患者さんに負担をかけてしまうなど、上手くいかず挫けそうになる事もありました。しかし、以前自分自身が歯の治療で通院していた時に疑問に思っていた事、歯の仕組み、治療の流れなどがわかるにつれ、とても興味深くなっていった為、頑張る事が出来ました。
そして嬉しかった事は、母親の私が歯科医院で働いている事で、子供が歯科医院に行くのを怖がらなかった事です。
二人目を出産するにあたって、最後の子育てになるのではないか?一度じっくり育ててみたいと思い、育児に専念しました。しかし、子供が成長するにつれ、また歯科助手として働きたいと強く思うようになりました。

あいば歯科に入社させていただいてからは、最新の高度な治療技術についていくことができず、仕事の厳しさに直面し、自分の無力さに痛感させられる毎日です。失敗して臆病になってしまい、次へ踏み込めない時もありましたが、もし失敗したとしても失敗から学び、なぜそうなってしまったのかをよく考える事が成長へ繋がるのだとわかりました。
新人セミナーで学んだ『心構え』『明確な目標を持つ事』を常に意識し、一から勉強して、技術と知識の向上に努め、成長し続けるように挑戦していきます。

歯科技工士・歯科技工部シニアアドバイザー 坂本裕

2016年10月、北海道から秋田市 あいば歯科医院に赴任した歯科技工士の坂本 裕です。1954年生まれ 64歳 45年間歯科インプラントの技工を専門としてしています。
1975年より歯科医院技工部に20年勤務後、1994年 歯科技工所「有限会社 Y’s Dent Studio,Inc.」を開設、8年程前に日本口腔インプラント学会の講演で秋田を訪れた折にあいば歯科医院 院内ミーティングで歯科インプラント技工のお話をさせて頂いたのが相場隆広先生とのご縁です。
2014年「Y’s Dent Studio,Inc.」を定年退職してフリーランス歯科技工士として活動していたところ。相場隆広先生より“秋田へ来て仕事しましょう!”とお誘いを頂き二つ返事でここ秋田へまいりました。

現在、あいば歯科技工部のシニアアドバイザーをさせていただき、自身の仕事のテーマである「よりハイレベルなインプラント技工!」、生涯のポリシーの「ポジティブ&アクティブ&アグレッシブ」な日々をあいば歯科ファミリーとすごさせて頂いております。
患者さんのために!を信条にまだまだ研鑽、精進してまいります。

歯科技工士・技工士主任 三浦郁恵

私は「考える」という事が好きです。どうしてこうなの?なぜそうなったの?と、真面目なことから、どうでもいい、くだらないことまで、様々なことを考えています。

子供のころ、学校での発表会や、人前で発言するという事が苦手で、いつも一歩ひいた場所から周囲を観察したり、自分の中で答えを見付けたりしていて、なかなか人に伝えることが出来ずにいた気がします。

子供のころの一歩ひいてしまうクセが、今の「考える」ことのきっかけになったと思いますが、人前での発言が苦手という部分については、現在毎朝の朝礼で行っている「good & new」のおかげで、少しずつ改善されてきたような気がします。「good & new」とは、1日の良かった事、新しい事を、どんな事でもいいので1つ発表し、物事を良い方向で考えるクセをつけるという目的で行っているものですが、その毎日の発表で、少しずつ発言することに慣れてきた気がします。

私には子供がいます。子供が生まれてから、特によく考えるようになったのは教育のことです。最近毎日のようにニュースで見かける異常な犯罪、政治家や地位のある方々のありえない失言、モンスターペアレント…そうゆうのは全て教育の未熟さが原因だとおもうんです。何かの番組でタレントの美輪明宏さんが、「今の日本人は想像力が足りない。それをやったらどうなるか、という事を想像できないから簡単に犯罪を犯してしまう」と言っていました。確かにその通りだと思いました。そして、その想像力を養うには、いろいろな考え方を知る事が大切で、つまり、より多くの人の意見を意味違うことなく聞けること、まがった考え方をしない事が重要かなと思います。
そのためには、親や家族が愛情をたっぷり注いであげること。日本語もわからないうちから外国語を習わせるということよりも、まずは正しい日本語を。その日本語でいろいろな事の意味を教え、考えさせてあげること。そういう事が理想だと思います。

歯科技工士 進藤綾子

あいば歯科医院は、私が歯科技工士として初めて就職した医院でした。子供の頃から、手芸や工作が好きだった私は、何か物を作る仕事をしたいと思っていました。歯科技工の仕事の内容自体は「歯を作る」という漠然とした知識しかありませんでしたが、専門的な技術を習得すれば、手に職をつける事ができるし、自分に向いているのではと考えました。

しかし、実際に働き始めるとその仕事の厳しさに直面し何度も挫折しそうになりましたが、なんとか続けることが出来ました。
その後、出産を機に退職し9年間専業主婦として育児に専念していた私に、再びあいば歯科で歯科技工士として働くチャンスを頂きました。大きな不安を抱えての再出発でしたが、家族に支えられこうして自分の場所が持てることに感謝しています。

そして私自身、仕事と家庭の両立に日々奮闘する中で、なかなか自分の時間が持てずにいますが、今は家族と共有する時間を一番大切に思っています。また友達や仲間と、お酒を飲みながら盛り上がることも私のエネルギー源となる大切な時間です。

先々の事を考えると、不安は多々ありますが、子供の健やかな成長を見守りながら、自分自身が少しずつでも成長することで、より良い未来へと繋がってゆくことを信じ願っています。

歯科技工士 渡邊真歩

私が歯科技工士という職業を知ったのは中学3年生の時です。白衣を着る仕事がしたいとは考えていたのですが、人見知りであまり社交的な性格では無かったので看護師などの患者さんと接する職業は自分には向いていないと思っていた時に母が歯科技工士という職業がある事を教えてくれました。それまでは全く聞いたことの無い職業だったのですが、裏で治療を支えるというところに惹かれてこの職業に興味を持ちました。

専門学校に入学し、臨床実習をさせていただいた際に患者さんの技工物のセットに立ち会う機会があり、その時の患者さんの様子や表情を見ているうちに患者さんのお話を直接聞くことのできる歯科医院で働きたいと考えるようになり、院内技工所のあるあいば歯科医院に入社を決めました。
入社してからも覚える事も多く落ち込むこともありますが、少しずつでもできることを増やし、患者さんの気持ちに応えられるよう日々努力していきます。

歯科技工士助手 髙橋祐子

私はよく周りの人から、“明るく元気”“せわしない”など活発なイメージの言葉を言われます。自分でもそのように認識しており、イメージ通りの自分でいなければと思う時もあります。しかし、そのイメージとは逆で、実際には受身で人との繋がりを敬遠しがちな自分がいます。

それでも前職ではコミュニケーション力の自信、受付への憧れといった漠然とした理由をきっかけに約4年間歯科助手をしていましたが、「自分に合っているのか?」「無理をしているのではないか?」と違和感を覚える事が日に日に増えていました。技工室に行く度に、こつこつと作業をして裏で医院を支える技工士の仕事に魅力を感じる自分がおり、その度に「技工に関わる仕事があれば良いなぁ」と同僚と話していた事が今振り返ると不思議でなりません。
そして、再就職の時偶然に技工助手という職種に出会い「この仕事をしたい!」と湧き上がる思いを感じたのを今でも鮮明に覚えており、今こうしてあいば歯科医院で働かせて頂いております。
当たり前の事ですが、患者さんの口腔内も、口腔内をもとに作られる技工物も、ひとつとして同じ物はありません。毎日同じ作業の繰り返しですが、緊張感を持ってひとつひとつ丁寧にやる仕事にとてもやりがいを感じます。
私にとってあいば歯科医院は、歯科の知識はもちろんのこと仕事への心構えや基本所作を学べる場であり、活力溢れるスタッフから色々な刺激を受けて“行動に移していく事”“人と繋がることの楽しさ”を実感しています。この先いろいろな経験を経て更に成長した新しい自分に会えるのが楽しみです。

歯科技工士助手 大山優花

私は以前、ケーキ屋さんで製造販売の仕事をしていました。
ケーキ作りは繊細で華やかなイメージがある一方、重い物を持つなど力仕事も多く辛いこともあります。しかし、お客さんが笑顔で「美味しかったよ」と声を掛けてくれる度に嬉しく思い、とてもやりがいのある仕事でした。
その頃、母が亡くなり、母に代わり家事や祖父母の介護などに追われる毎日でした。それまでは家族のことを一番に考えてきた私でしたが、「今のままで良いのか?」と思うようになり、自分自身の将来を改めて考え、転職を決意しました。
転職するなら心機一転、今までとは全く違う仕事にチャレンジしたいと思っていました。もともと手の器用さには自信があったので、“手先が器用な方、仕事が丁寧な方”という求人内容を見て「私に合っているのでは?」と思ったことがきっかけとなり、現在あいば歯科医院で働いております。
今までは、スタッフがたくさんいる職場で働いた経験がなかったので、「うまくやっていけるかな?」という不安もありましたが、スタッフ同士とても仲が良く、忙しい中でも笑顔で仕事に励んでいる姿を見て、安心して働くことができています。
あいば歯科医院では人前で話す機会も多く、もともと恥ずかしがり屋で人前に立つことを極力避けてきた私でしたが、少しずつ話すことにも慣れ、今までとは違う自分を知ることができ、やれば出来るのだと実感しています。
歯科に関しては、全くの未経験でまだまだ未熟ですが、技術面でも人間的にも成長できていると日々感じています。これからも失敗を恐れずたくさんのことにチャレンジしていきます。

放射線技師 窪目昌太

「どうして体の中が写真に写るんだろう?」そう思ったのが、私が放射線技師になるきっかけでした。

幼い頃からサッカーをしていたこともあり、よく怪我をする子供でした。病院へ行き、レントゲン写真を撮ります。そして、病院の先生が見せてくれる自分の骨が写った写真に釘付けになっていたことを今でも覚えています。
こうして私はレントゲンを撮る人になりたいと思うようになりました。

高校卒業後、私は東京の都立大学の放射線科に進学しました。そして、そのまま東京で就職することになりました。就職先に選んだのは、放射線技師だけで60名ほど在籍している大病院でした。
そこでは最新の医療に触れることができ、知識を技術、医療に携わる者の心構えを学びました。

今、私はあいば歯科のスタッフの一員として秋田で働いています。
上京したときから、将来は地元秋田で働きたいをいう気持ちが強く、平成29年に念願叶って帰ってくることができました。
あいば歯科では、先生方のお人柄の良さや周りのスタッフの明るさもあり、充実した毎日を送っています。

今後も、秋田の地域の皆様に貢献できるよう自分らしく歩んでいきます。
レントゲンについて分からないことや不安なことがありましたら、気軽にお声かけ下さい。

受付・受付主任 佐藤めぐみ

受付をしています、佐藤です。

私はあいば歯科で働く前に、販売員として働いた経験があります。人と接する仕事で、女性の多い職場で働きたいという思いがありました。

小さい頃から親の仕事の都合で引越しを繰り返していたので、すぐに環境になじむことができずに、ひっこみ思案な子供だったように思います。
そんな私が接客業を選んだことに、きっかけがあったのかはわかりません。それでも販売の仕事を通じて人と接することで学んだことを、今は受付として患者さんとのコミュニケーションに役立てたいと思っています。

入社当時は、慣れないことに戸惑ってばかりで不安を抱えて来院する患者さんの気持ちに気付くことができず、逆に不安にさせてしまっていたのかもしれません。
あいば歯科の一員として、一番初めに患者さんとお会いする立場です。日々いろんな方と接することでたくさんのことを気付かされます。

混みあっているときの対応が雑になってしまっていなかったか、お電話を下さった患者さんの気持ちを把握できたのか、毎日自分に問いかけてみます。出来なかったことに対して、言い訳をするのではなく、どうすれば良かったのかを考え少しずつ進化していけるようになることを目標に頑張っています。

これからもたくさんの患者さんとの出会いを楽しみにしています。

受付 田村真菜美

私は幼い頃とても人見知りで、どこに行っても親の後ろに隠れているような子供でした。そんな私が将来の仕事について考え始めたのは、小学生の頃。知り合いのお姉さんが歯医者さんで働いていて、そこに通っていたときに、漠然と「歯医者さんのお姉さんになりたいなぁ」と感じました。おそらく私が初めて将来について考えたのがこの時です。
あいば歯科に入社してからは、毎日毎日が勉強で、技術はもちろんのこと、人としてのあり方などを日々学んでいます。
今、あいば歯科の「顔」とも言える受付で毎日お仕事をさせてもらっています。来院して頂く皆様に、「来てよかった」「来るのが楽しみ」と思ってもらえるような接客、技術にさらなる磨きをかけ、笑顔を忘れず日々前進していきます。

受付 米田安理沙

社会人12年目。販売・接客業をずっとしていた私が転職を考えたきっかけは、保育園が休みの度に子供達に「今日はお母さんとお父さん、どっちとお休み?」と聞かれた事でした。盆も正月も関係なく、休みも家族バラバラ、友人達とも休みが合わない。自分の為、家族の為に働いてるのに大切な人と一緒に過ごす時間があまりにも限られていて、私でも寂しいと感じるのだから、子供達はもっと寂しい思いをしてるんじゃないか?今からでも私に何か新しい事が出来るのかな?と思い、もともと興味のあった医療事務の勉強を始めました。
慌ただしい毎日の中、「新しい事を学ぶ」という事で大変な思いもしましたが、それまで感じられなかった充実感と、新しい自分への期待感でやる気に満ちていました。そして、あいば歯科医院への就職が決まりました。
就職して改めて思ったのは、ノートの上で学んだ事と、現場で実際求められる事は全く違うという事です。
もちろんそれまでに学んだ事も私の知識、財産になっていますが、入社してからの方が何倍も学ぶ事が多く、毎日が勉強の日々です。
今それを楽しいと思って働けているのは、患者さんが「ありがとう」と笑顔になってくれるのと、家族や友人、あいば歯科のスタッフ等、周りの人達に恵まれ、私を必要としてくれる人が居る環境があるからだと思っています。
以前は「時間が無いから」「子供がいるから」と言い訳して諦めていた事も、前向きにまずはやってみよう!と思える今に感謝して、仕事でもプライベートでも色々な新しい事に挑戦していきたいです。

受付 佐々木明夏

私は小さい頃から好奇心旺盛で体を動かしたり人とはなしたりするのが大好きでした。
小学生、中学生のころはバレーボール、高校生の頃はラグビーのマネージャーとして競技やルールが全然ちがうものですが常にチームの輪の中で過ごしてきまいた。
バレーボールでは「チームワーク」の大切さ、ラグビーのマネージャーではカ「周りを見て行動に移す」大切さを学びそれらが今の私をつくっていると思っています。

もともと医療事務に興味があった私は病院の受付をしたいとおもっていました。そんな中みつけたのが、あいば歯科の求人でした。あの大きなビルにはどんな人がいてどんなところなのだろうと興味がありました。実際に職場見学をさせて頂き、患者さん一人一人と向き合い大切にしている姿、何よりも生き生きと笑顔で仕事をしている姿を見て「私もここで働きたい。安心して通ってもらえる手助けがしたい」と強く思いました。

私は現在、あいば歯科の「顔」ともいえる受付で働かせて頂いています。
患者さん一人一人が安心してもらえるような接客を心がけていますが、いざ話となれば緊張していまい上手く伝えることができていないなと反省する毎日です。まだまだ未熟者で失敗する事や迷惑をかけてしまうことが多々ありますが、それでも頑張ろうと終えるのは失敗してもフォローして支えてくれるスタッフの皆がいるからだと思います。失敗したから落ち込むのではなくこの失敗が私を成長させてくれる過程だと思っています。ずっと落ち込んでいては患者さんの笑顔に出会うことは出来ません。私にとって一番の頑張る源は「ありがとう」と笑って帰られる患者さんの姿をみることです。技術や知識もまだまだな私ですが、名前に負けない持ち前の明るさと笑顔と元気でたくさんの患者さんの笑顔に出会えるように日々成長し続けます。

クリーニングスタッフ 伊藤優子

5年前パート先を探していた私は『おそうじの人募集』の求人票をみつけました。前の仕事はお惣菜や焼肉屋という飲食関係だったのですが、閉店になってしまい、何でもいいから仕事をしなくちゃ!!…と探していた時でした。
そうじを仕事にした事は無かったのですが、とにかく受けない事にはどこにも仕事は無い…と面接を受け、幸い採用してもらう事が出来ました。
そうじの仕事は色々あって、中でも今まで経験した事のない芝生を刈る作業がありました。もちろん芝刈り機を使うのも初めてでしたが、思ったより順調に刈っていた時、「バチッ!」と延長コードを刈ってしまったのです。泣きそうになりながら先生に報告したら「次から気をつけてね。ケガしなかった?」と、逆に心配してもらい本当に嬉しかった事を今でも思い出します。
現在はそうじの仕事をしながら、技工室の手伝いをしているのですが、私が歯科医院に就職した事で一番喜んだのは母でした。母は私を歯科技工士か歯科衛生士にしたいという夢があったのです。そして、私も小さい頃保育士になりたかったという夢を、患者さんのお子さんを預かる事により叶えています。
次はどんな夢を叶えられるのかを楽しみにしながら『あいば夢が叶う歯科』で日々働いています。

クリーニングスタッフ 嵯峨美紅

私は子供の頃から、あまり積極的な方ではなく、人と打ち解けるのにも時間がかかるタイプでした。子供が産まれてからは、いろんな所に出かけたり、イベントに参加するようになり、この引っ込み思案な性格も、大部改善されてきたように思います。

元々体が強くなく、体調を崩していた時期もあった私は、社会経験というものがありませんでした。
このままではダメだと仕事を探していた時に、あいば歯科でのパートのお話をいただきました。
職場見学で、実際に話を聞き、仕事内容を見て思った事は、子供がいても働きやすそうだという事でした。そして、自分がここで働く姿が見えたような気がしました。

パートとして働き始めた頃は、正直に言うと毎日が不安でした。今でも分からない事や、失敗もありますが、「昨日出来なかった事が、今日は出来た」。そんな小さな積み重ねが、成長に繋がっていると感じています。

まだまだ勉強することはたくさんありますが、私があいば歯科で働き始めて一番強く思うことは、職場環境も含め、毎日が充実している事です。私生活では、子供と過ごす時間を以前より大切に感じるようになりました。
「縁」というものは、大切にすればする程、人を良い方へと導いてくれるものだと信じています。
笑顔のあふれるあいば歯科。
そんなあいば歯科と患者さんとのご縁を、これからも大切にしていきたいと思います。

保育士 田村雄